世界のヒバクシャはいま

核兵器と原子力による被爆者・被曝者の権利回復運動についての情報サイト

 

2008.08.05/08.08 原水禁大会「ひろば」:サハラ砂漠でのフランス核実験のツメ痕—— アルジェリアのヒバクシャの権利回復運動はいま ——のご案内

前回のお知らせに続いて、より詳細なご案内を掲載させていただきます。

■ アルジェリア政府関係者が現状を報告

 今年、広島と長崎で行われる原水禁国民会議主催の「ひろば」で、1960年代にフランスがサハラ砂漠で行った核実験の被害と現状について、長年アルジェリア政府機関でこの問題を調査してきた研究者が報告を行います。アルジェリアのヒバクシャ問題については国際的にもあまり情報がなく、詳しい現場の話を聞くまたとない機会と言えます。

今回、原水禁の招きで来日するのは、つぎの両氏です。

 

  • アンマール・マンスーリさん:アルジェリア核科学技術学会会長、アルジェリア国立195411月国民運動・革命研究センター研究員、「サハラ砂漠フランス核実験影響調査班」委員。200721315日に首都アルジェで行われた「アルジェ国際核実験被害者会議」を実質的に企画・運営。
  • アンマール・ジェファルさん:アルジェ大学政治学部教授。アラブ政治学会副会長。研究プロジェクト「第三世界における核拡散の政治経済的問題」を主催(20022006年)。「サハラ砂漠フランス核実験影響調査班」委員。

 

■ フランス政府は核実験の被害を否定

 フランスは196096年に計210回の核実験を行いました(表を参照)。実験に動員されたフランス本国の軍人・科学者・技術者は計約77千人にのぼると言われ、他に多数の現地住民が核実験施設の建設工事や後方基地での各種用務の労働力として採用されました。

 フランス政府はこれまで核実験の人体・環境への影響を一切否定しています。しかし、核実験関連の情報は、「国防機密」としてほとんど公表されていないのが実状です。20085月、サルコジ政権は、核実験関連の公文書史料を永久に「開示不可文書」として封印してしまうことも可能にする法律を成立させました。

■ フランス核実験ヒバクシャ運動は2000年代に誕生

しかし、1990年代半ばごろから市民団体による被害者の掘り起こし運動が始まり、2001年にフランス本国と仏領ポリネシアで被害者団体が設立されました。フランス本国では、補償を求める訴訟が現在300件以上係争中で、すでに地方裁判所レベルで16件の勝訴判決が出ており、8件で上級審での勝訴が確定しています(20085月現在)。

仏領ポリネシアでは、ポリネシア議会による調査で放射性降下物が居住地域でもあった事実が明らかなり、仏政府との交渉により元実験場の除染工事、元労働者と住民の医学調査が始まっています。20085月には、初の補償請求訴訟が提訴されました。

■ アルジェリアでも最近大きな動き

 アルジェリアでは、フランス植民地主義がもたらした被害の一環として、「国立革命研究センター」や「1962213日協会」などの手でサハラ砂漠でのフランス核実験の被害の掘り起こしが行われてきました。また、2003年に市民団体「アルジェリア・サハラ砂漠仏核実験被害者協会(AAVENF」が設立されました。

こうした文脈のなか、アルジェリア政府は20072月、フランス、ポリネシア、オーストラリア、アメリカ、日本からNGOの活動家を招いて「国際核実験被害会議」を開催。国内の市民団体代表など約400名も参加した2日間にわたる報告・討論の後に、仏政府に対する調査・除染・被害者補償の要求が採択されました。

その後、200712月、フランスのサルコジ大統領は、アルジェリアを訪問し、仏留原子力協力協定を締結すると同時に、サハラ砂漠での核実験環境影響調査を行う用意がある旨を発表しました。その背後には、欧州加圧水型炉(EPR)をアルジェリアに売り込みたいという、「原発商人」サルコジ仏大統領の思惑が垣間見えます。アルジェリア国内では、「2020年頃に原発第1号建設か」といった報道も行われています。

今回の「ひろば」では、アルジェリアのヒバクシャの現状を、こうした最新の動きも含めて報告していただきます。ふるってご参加ください。

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サハラ砂漠でのフランス核実験

 

アンマール・マンスーリアルジェリア国立195411月国民運動・革命研究センター)

 

■ アルジェリアを犠牲にして「核クラブ」入りしたフランス植民地主義

 フランスは、1960年から61年にかけて、サハラ砂漠中西部のレッガンヌ南方のハムディア実験場で4回の大気圏核実験を行い、その後196166年に、サハラ砂漠南部のタマンラセット北方のタウリート・タン・アフェラ山にトンネルを掘り、13回の地下核実験を行った。これらの核実験のほかに、プルトニウムなどの放射性物質を飛散させる「実験」が、ハムディアで35回(実験用カプセル内と大気中)、タン・アフェラ山西部のタン・アタランで5回(「ポレン」と呼ばれる大気中実験)が行われている。

 サハラ砂漠での核実験について信頼できる公式情報は今日もほとんどなく、核実験に動員された多数のアルジェリア人(「バ・デュ・トゥア勤労民」や「オアシス勤労民」と呼ばれた地元調達労働者)、レッガンヌとイネケール核実験場の近くに住む地元住民(定住民と遊牧民)への影響についても情報は皆無である。しかし、多数の証言がアルジェリアのマスコミでも報道されており、核実験に参加した退役軍人の証言(とくに事故に関するもの)も数多く収集されている。

 1999年にアルジェリア政府は、ハムディアとイネケール両核実験場の予備調査を国際原子力機関(IAEA)に委託した。このIAEAの調査報告では、それぞれの核実験が行われた正確な位置など新しい情報がいくつか明らかになったが、放射能汚染の程度や範囲については非常に不十分であり、その提言も納得できるものではない。

 フランス政府は、国防機密を盾に、サハラ砂漠で行った核実験に関する公文書史料の開示を拒否している。

フランス国防相のインターネット・サイトにも新たな情報は何もなく、多くの証言ですでに明らかになった事実を追認しているに過ぎない。多数の退役軍人、そしておそらくは近隣住民(あるいは遊牧民)が、核実験による大きな健康影響を受けていることを考えると、フランス政府のこの秘密主義を許すことはできない。フランスは、19667月にフランス軍がサハラ砂漠から撤退した際に、核実験場を「解体」し、放射能を「浄化」したとしているが、現場を訪れた多くのアルジェリア人が事実はまったく異なることを証言している。

■ 「ヒロシマ」と「チェルノブイリ」のあいだに「ベリル」あり:196251日の核実験事故

大気圏核実験による大量の放射性降下物問題に直面したフランスは、大気圏核実験から横穴式地下核実験に移行した。新たな実験場として、サハラ砂漠南部のホッガール山地にあるタマンラセット市の北方約150kmにあるイネケールに近い花崗岩山塊タウリール・タン・アフェラ山を選び、その山麓に「オアシス軍事実験センター(CEMO)」が建設された。山塊の裾野は長さ約40kmにおよび、海抜は1,5002,000メートルある(山塊のあるホッガール山地は海抜約1,000メートル)。実験は、山腹に掘った長さ約1kmの横穴の中で行われた。横穴の奥は螺旋形をしており、爆発の衝撃で崩れた岩でトンネルが塞がれ、爆発が封入される構造になっていた。横穴の出口はコンクリートの蓋で塞がれていた。

コードネームで「ベリル(緑柱石)」と呼ばれた2回目の地下核実験のさいに、出力過大事故が発生した。この事故は、今日の国際原子力事象評価尺度(INES)で「レベル5」に相当する事故であり、「チェルノブイリ -1」とも呼ぶべき大事故であった。アルジェリアにおけるフランス核実験の放射能汚染時代の開始を告げた出来事だった。

この核実験には約2,000人が参加していたが、P.メスメール仏国防相とG.パレフスキー科学研究・核開発相も立ち合っていた。放射能の雲が横穴から吹き出し、周辺環境を汚染した。放射能は、国境を越えて周辺国まで達したと言われる(当時のヘリコプター・パイロットとメスメール国防相の証言)。

残念ながら、事故はこれにとどまらず、核爆発の噴出事故は他にも3件起きている(1963330日「アメジスト」事故、19631020日「リュビス」事故、1965530日「ジャッド」事故)。フランス政府も、13回の地下核実験のうち4回で大気中への放射能漏れが起きたことを認めている。「ベリル」事故の放射能汚染は、2005年のIAEA調査でも確認されている。

こうした事故や放射能漏れにもかかわらず、住民や環境への影響調査は今日もなおまったく行われていない。

 

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