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ポリネシアでのフランス核実験:「バーチャル記念館」が完成

ポリネシアで、1966〜96年の30年間に、193回にわたって行われたフランス核実験の実像を示す多数の画像や文献を集めた「フランス核実験バーチャル記念館」が、ポリネシア自治政府の手でこのほど完成し、09年3月10日「開館式」が行われました。

フランス核実験バーチャル記念館は、長年反核運動に携わってきたオスカー・テマル氏が前期に大統領だった2007年に自治政府が始めた事業。フランスの核兵器問題の第一人者であるブリュノ・バリオ・フランス核兵器監視センター(OBSNUC)所長らが中心となって作成しました。

「フランス核実験バーチャル記念館」の開館式に集まった関係者たち(最前列左端からローラン・オルダム・モルロアと私たち協会会長、ブリュノ・バリオ大統領参事官(記念館作成責任者)、ジョン・ドゥーム・モルロアと私たち協会事務局長、オスカー・テマル・ポリネシア自治政府大統領)
■「フランス核実験バーチャル記念館」の開館式に集まった関係者たち(最前列左端からローラン・オルダム・モルロアと私たち協会会長、ブリュノ・バリオ大統領参事官(記念館作成責任者)、ジョン・ドゥーム・モルロアと私たち協会事務局長、オスカー・テマル・ポリネシア自治政府大統領)

「展示資料」は、残念ながら、今のところすべてフランス語ですが、最新のwebサイト技術を駆使し、フランスらしいシンプルなデザインにポリネシア風の色彩を加えて視覚的にも美しく、一般の人にも親しみやすく、分かりやすい説明の「展示」に仕上げられています。しかし、リンクをたどっていくと、核実験要員が現場で書いた手書きの報告書や、これまでどの文献にも掲載されたことのなかったビデオや写真、地図など1,200点以上、核実験を実体験した兵士や元労働者、住民の証言など、膨大な原資料が収められていることが分かります。また、サイトを訪れた人が、感想や意見を書き込めるページも随所に設けられていて、市民との対話を重視するテマル大統領はじめ作成者の姿勢がうかがわれます。

「フランス核実験記念館」のプレゼンに見入る式典参加者たち
■「フランス核実験記念館」のプレゼンに見入る式典参加者たち

開館式には、オスカー・テマル大統領(09年2月11日のポリネシア議会選挙で就任。4度目)やモルロアと私たち協会の元核実験労働者などが詰めかけました。しかし、この開館のプレゼンテーションを担当したのは、エドゥアール・フリッチ・ポリネシア議会議長。「タヴィニ・フイラアティラ Tavini Huiraatira 党(独立派)の現大統領が始めたこのバーチャル記念館を、タホエラア・フイラアティラ党に所属しているこの私が紹介するのも皮肉な話だとお思いの方もいらっしゃるかも知れませんが」とプレゼンを切り出したそうです(地元紙「タヒチ・プレス」)。

というのも、フリッチ・ポリネシア議会議長が所属しているタホエラア・フイラアティラ Tahoera’a Huiraatira 党は、30年来テマル大統領の政敵だったガストン・フロス元大統領が保守派の自治派政党だからです。しかし、この2月の議会選挙では、タホエラア・フイラアティラ党の議員9名がテマル候補に投票し、テマル大統領再任の原動力になりました。これは、核実験被害者の運動を進める中で、両党の党員同士が語り合う地盤が生まれ、よくよく話し合ってみると、フランス政府との被害者補償交渉の進め方や、ポリネシアの将来ビジョンなどの面で共通する部分が多く、これなら一緒にやって行けるじゃないかという認識を2年ほど前から双方が持つようになったからだ、とブリュノ・バリオ氏は語っています。バリオ氏によると、2007年夏ごろから、両党共催の市民集会なども開かれるようになったそうです。両党の強力関係は、選挙だけのための一過性のものではなく、かなり地に根を張ったものになりつつあるようです。

式典に出席したオスカー・テマル大統領は、ポリネシアの反核運動を振り返り、弾圧に耐えながら運動を支えてきた人々の名前を挙げて讃辞を述べた上で、「この記念館は、これらすべてを忘れないためにある」と感慨を込めて挨拶しました。

バーチャル記念館開館式で挨拶するオスカー・テマル大統領
■バーチャル記念館開館式で挨拶するオスカー・テマル大統領

作成に当たったブリュノ・バリオ氏も、「原水爆という途方もない暴力だけでなく、嘘や教化、秘密主義、空約束、政治的策謀、カネによる支配、文化の破壊、等々の暴力に対する、ポリネシアの人たち抵抗にとくに光を当てることを心がけて作成しました」と、ポリネシア住民の運動の大切さをあらためて強調しました。さらに、まもなくフランス政府が提出する「核実験被害者補償法案」にも触れ、「国は、遅ればせに、そしておずおずとその責任を認めましたが、被害者には平等な正義を獲得する権利があるし、情報公開と真実を要求する権利があります」と、今後とも運動を続ける意思を表明しました。

*写真は「タヒチ・プレス」より転載。

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