被害者の運動潰し:フランス国防省の「核実験被害者補償法案」
エルヴェ・モラン仏国防相は、08年11月27日にコミュニケを発表し、フランス核実験被害者補償法案を来09年第1四半期に提出する意向を発表しました。
1960年にサハラ砂漠で最初の核実験を行って以来、フランス政府は一貫して「フランス核実験による放射能で被害を受けた者はいない」とする主張を貫いてきました。今回、モラン国防相は、「われわれは核実験被害者を認めなければならない」と述べ、フランス政府が2009年第1四半期に核実験被害者補償法案を提出する準備を進めていることを明らかにしました。この発表は、フランス政府がこれまでの立場を初めて覆し、被害者が存在することを認め、その補償を行う意向を示したという意味で、画期的な一歩といえます。フランスのメディアは、こぞって「フランス政府、核実験被害者に補償」「元核実験従事者に希望」といった見出しで大きく報道しています。
しかし、発表された政府法案の骨子を見ると、これまで被害者団体が要求してきた内容とはほど遠いもので、基本姿勢は従来とまったく変わっていないことが分かります。
■因果関係の推定的認定原則にもとづく補償制度を制定する法案の行方を心配する「元核実験従事者協会(AVEN)」の会員たち
因果関係の推定的認定原則にもとづく補償制度を
フランス核実験ヒバクシャ団体は、これまでおもに3つの方向で人間としての権利を回復する運動を続けてきました。ひとつは、フランス政府との直接交渉。もうひとつは、裁判闘争。そして3つめは被害者補償制度の確立です。
この被害者補償制度は、アメリカで1988年に制定された「放射線被曝退役軍人補償法」(REVCA。現在は放射線被曝補償法(RECA)に統合)をモデルにしたもので、被害者が一定の条件を満たせば、個人による長く苦しい裁判闘争を経なくても自動的に補償を受けられるようにする制度です。制度の枠組みとしては、一般的な職業病の認定制度や、日本の公害健康被害補償制度に近いもので、被害者の包括的な救済をめざす制度といえます。
フランス核実験被害者が求めてきた法案の骨子は、次の3点です。
- 因果関係の推定的認定の原則(presumption principle):放射線を被曝しうる状況に居たことがあり、放射線被曝によって引き起こされる疾病を発病している場合に、両者の因果関係を推定的に認め、補償を行うこと。この原則によって、被害者側の挙証責任が大幅に軽減される。
- 補償の財源となる特別基金の設立。
- 被害者の健康状態追跡調査する看視委員会の設立。委員は、国会議員、独立の立場の専門家、政府および元核実験従事者・元労働者団体の各代表で構成する。
フランスでは、同じような原則に基づいてアスベスト被害者救済制度がつくられています。
運動の成果:「核実験被害者補償法」議員立法案を超党派議員連盟が国会審議日程に
フランス核実験ヒバクシャ団体は、この制度の確立のための法案提出を各党議員に呼びかけ、超党派の議員連盟を形成して法案の成立させることをめざしてきました。2002年に緑の党議員が最初の法案を提出したのを皮切りに、左翼諸派、共産党、社会党、さらに保守与党の国民運動連合(UMP)などほとんどの政党の議員が独自の被害者補償法案を提出してきました(ただし、法案を提出したUMP議員は、UMP内部では少数派)。
今年10月18日には、フランスの著名人が結成した支援団体「真実と正義(Vérité et Justice)」が、フランス本国の被害者団体である「元核実験従事者協会(AVEN)」と仏領ポリネシアの被害者団体「モルロア・エ・タトゥ協会」とともにこれらを一本化した法案をまとめました。この法案には、超党派議員連盟全員が賛同し、その出身政党はフランス国民議会の全政党に渡りました(ただし、賛同した保守系議員は、やはりその属する政党の中では少数派)。国民議会の審議日程に上ったのは今回が初めてで(法案第212号。クリスチアンヌ・トービラ議員(社会党)が議員立法法案として提出)、11月27日の審議の行方に期待が集まっていました。
被害者側の法案潰しをねらった国防省法案
ところが、その前日の11月26日付「ル・パリジアン」紙にモラン国防相のインタビュー記事が掲載され、そのなかで突然、国防省が核実験被害者法案を提出する意向であることが発表されました。それによると、政府法案の骨子は次のようなものです。
■エルベ・モラン仏国防相
- 政府法案は2009年1月中に閣議に付し、第1四半期に国民議会に提出する。
- 法案は、補償の対象となりうる人数を評価し、必要な財源を確保するための影響調査と、「核実験健康影響補償国家委員会(CNICSEN)」の新設の2部構成とする。
- 補償給付の条件として、次の要件を課す。
- 給付対象者は、軍人、民間人および核実験場周辺住民とする。
- 国防省による評価で最低50ミリシーベルト以上を被曝していること(一般住民の許容被曝線量より算出)。基準値は政令で定める。
- 白血病または気管支肺ガンを発病していること。
これを見れば明らかなように、政府案は被害者ごとに被曝状況を個別に審査し、政府が定めた基準に基づいて認定を行う制度で、被害者全体の救済を目的とした上記の議員立法法案とはまったく正反対の原則に基づいています。モラン国防相自身、「この補償法の対象となりうるのは数十~数百人」と、極めて小数に限定されることを認めています。
この政府法案が、被害者団体が長年の運動の末に国会審議までようやくたどり着いた法案を潰すことを目的としていることは明らかです。案の定、11月27日の国民議会採決では、与党(UMP)議員の大多数が政府側に回り、超党派議員連盟が提出した法案に反対。被害者側の推す議員立法法案は否決されました。
フランス核実験被害者運動を支えてきたブリュノ・バリオ・ポリネシア自治政府補佐官は、国防省が提出する補償法案について、「国が救済してやるという意向も、核実験被害者への責任を認めたことさえも、核実験被害者に対する正義を踏みにじるものであり、まさに偽善としか言いようがない」と厳しく批判しています。