国防機密文書「フランス核実験報告(1960-1996)」をめぐる日本での報道
フランス国防省が1998年に作成したと見られる国防機密文書「フランス核実験報告(1960-1996)第1巻 組織の生成過程とサハラ砂漠での実験 (C.S.E.M.および C.E.M.O.)」[1]が暴露され、フランス国内はもとより、日本でも報道されています。以下は日本での報道です。
核兵器と原子力による被爆者・被曝者の権利回復運動についての情報サイト
フランス国防省が1998年に作成したと見られる国防機密文書「フランス核実験報告(1960-1996)第1巻 組織の生成過程とサハラ砂漠での実験 (C.S.E.M.および C.E.M.O.)」[1]が暴露され、フランス国内はもとより、日本でも報道されています。以下は日本での報道です。
Jusqu’à la dernière minute (le 17 à 20:00, heure japonaise), nous avons espéré recevoir une réponse à notre courriel du 15 février demandant pour la énième et dernière fois un billet en classe affaires pour Mme Bun (Fumiko) Hashizume, irradiée à Hiroshima, poète et auteure du livre Le jour où le soleil est tombé… J’avais quatorze ans à Hiroshima (Editions du Cénacle de France, Lille, 2007), et invitée par le gouvernement algérien pour le Deuxième colloque international sur les conséquences des essais nucléaires français au Sahara algérien. Nous attendions une réponse ―favorable ou défavorable―, mais une réponse. Rien ne nous était parvenu à 20:00, ni le billet en classe affaires […]
フランスがサハラ砂漠で行った核実験についての機密文書の暴露により「人体実験」作戦がフランス核実験でも行われていたことが明らかになり、大きく報道されています。これと時を同じくして、当のアルジェリアでは「第2回アルジェリア領サハラ砂漠におけるフランス核実験の影響に関する国際会議」が開かれます。 この会議には、日本からの代表も招請され、その旨を伝えるマスコミ報道も国内で行われましたが、残念ながら参加を取りやめざるを得ない結果となりました。以下は、2010年2月19日にその経緯と理由を説明した代表団3名の連名によるコミュニケです。
フランスの原爆実験が残した傷跡を扱った新しい映画が、2009年2月11日にフランスで封切りされました。
08年夏の広島・長崎原水禁大会で発表されたアルジェリア・ヒバクシャについての報告のもようが各紙で報道されました。
前回のお知らせに続いて、より詳細なご案内を掲載させていただきます。 ■ アルジェリア政府関係者が現状を報告 今年、広島と長崎で行われる原水禁国民会議主催の「ひろば」で、1960年代にフランスがサハラ砂漠で行った核実験の被害と現状について、長年アルジェリア政府機関でこの問題を調査してきた研究者が報告を行います。アルジェリアのヒバクシャ問題については国際的にもあまり情報がなく、詳しい現場の話を聞くまたとない機会と言えます。
今年8月の原水禁大会に、アルジェリアのフランス核実験被害問題と長年取り組んできたアンマール・マンスーリさんが参加し、広島と長崎の「ひろば」で講演を行います。
以下は、フランス軍が1967年にサハラ砂漠の核実験場から撤退したさいに実験場の管理権を引き継ぎ、汚染機材で被曝した元アルジェリア軍人M.A.ベンジェッバール氏の証言です。ベンジェッバール氏は、原水禁国民会議主催で2002年8月5日に広島で行われた「フランス核実験被害広島会議」にアルジェリア代表として出席し、アルジェリアのヒバクシャがフランス核実験被害者運動に、またひいては国際的なヒバクシャの運動の環に入るきっかけをつくりました。